代表の凸凹話

バブーシュに込めた思い(1)

以前も少し記事を書きましたが、LED関西というビジコンでグランフロントという大きな舞台にたちunmの活動を大きく広げていくことが出来ました。

現在は2021年3月に開催される第7期のエントリーが始まっていますので、起業家で自身のビジネスを飛躍させていきたい方は応募してみてください!

↓こちらです。

https://ledkansai.jp/

実は今年から過去のアンバサダー9名からメンタリングを受けられるシステムになり、私もメンターとしてその中の1名になっています。

このLED関西の舞台でもお話した内容なんですが、私はバブーシュを販売することを目的にしている訳ではないんです。

私がバブーシュをビジネスとして起業したのはもっと先の目標があったからでした。(起業したての時は気の赴くままにというのが本音ですが。笑)

今私は【多様性を認め合える社会にしたい!】という大きな目標を持っています。

実は代表の私自身は発達障害【ADHD】という特性を持っているんです。

ただ、定義からいくと今は発達障害ではないということになります。日常生活で困ることもないですし、人間関係も環境を変えて今では私を理解してくれる人とだけつき合うようにしているので大きなトラブルもありません。

ですので、今発達障害という病気と常に向き合っているかというとそうでもなくて、結構毎日楽しく暮らしています。

ただ、小さい頃はとんでもなかったみたいで、母からいまだに

「あんた以上にややこしい子どもは見た事がない!」と言われます。苦笑

当時はまだ発達障害という言葉もなかったですし、今では大問題ですが、小学校の頃には担任の先生に教卓の横に「ホットケーキグループ」という場所を作られ

「ここの子は放っておきなさい」と言われていました。

これ、本当に今だったら大問題ですね。笑

というか某週刊誌に話したら取り上げてくれるかな・・・( *`ω´)

まぁこんなことは数えきれず。どこに行っても問題を起こすので母は気苦労が絶えなかったと思います。ただ、良いのか悪いのか父が転勤のある仕事だったので3〜4年に1回ぐらい他府県に引越ししていたのでその度にリセット出来ていたので、それは救いだったように思います。

20才ぐらいにもなると悪気はないのに相手の顔が曇るという経験を何度もしてきたため、同じような空気になるとなんとなく空気を読むということができるようになり、短時間であればある程度バレずに過ごせてたんですが、、、長時間だとボロが出てました。それでも看護学校ではこんな私を「面白い!」と言って近くにいてくれる人と「何だこいつ!」と言って避ける人が出てきました。それまでは嫌われて虐められていた私でも友達が出来た!と結構嬉しかったのを覚えています。

ですが、就職すると看護師の世界は大奥のような・・・暗黙の了解が分からない私には上下関係でかなり苦労しました。10年間トラブルになっては病院を辞め新しい病院でリスタートするということを繰り返しましたが、結局どこに行っても同じでした。

ちょうど次男と三男の通院や入院が度重なり勤務する事が出来なくなったので退職しましたが、そのタイミングで事業が起動に乗ってきたので、法人化して起業したビジネスを本格的に広げていこう!と決めそこから3年たち今に至ります。

この3年間+海外との取引で私の価値観は大きく変わる事になりました。

私が診断を受けたのは子どもを産んだ後、25歳ぐらいだったと思います。

診断を受けて何だかホッとしたのを覚えています。だから人と合わなかったのか〜そりゃ合う訳ないよなと。

そこから次男・三男と病気を持って生まれてきて、人と違いという事がメンタルに出る場合も身体的に出る場合もあるし、個性かな〜なんて思うようになったり。

海外との取引を通して時間は守らないし、こっちの話全然聞いてないし、ちょっと!!!という事がたくさんあり、この発達障害って日本だからの部分もあるんじゃないだろうか?とさえ思ってきたんですよね。笑

そういう気付きをたくさんし、起業家の仲間が増えると私は「変わってるね」なんて言われる事がなくなってきたんですね。起業をしていく!っていう強い意思がある人達の中だと私全然変わってないし普通なんですよね。

大事なのは自分が身を置く場所だなと感じています。

私がいろいろな所でこのような話をすると子どもが発達障害で悩んでいたり、不登校で悩んでいたり、先の見えない不安に押し潰されそうになっているお母さんたちに出会う事が多くなり、決まって「少し希望が持てました!」と言ってもらえるようになりました。

バブーシュを販売することの背景を伝えていき、こんな活動や背景が伝わっていけばハンデを持つ子、その親御さんが少しでも希望をもてる日を夢見ています。

もちろん私より軽度・重度、いろいろな病気もありますし、大変さはそれぞれ違います。ですが、私はどうせ生きるならなるべく楽しく生きていきたいと思います!